読書感想文です。いつもぐだぐだの自分には珍しく、まず要旨をば。
・今後どの道を進もうと、VRMはエキスパートを生み出し得る余地を残してホシイ。
かの記事の「才能に恵まれた人は往々にして気付かないのです。そして、生き残った人々の『より個性的でありたい』『他者との差異を見せつけたい』という要望だけが公言され続けます」とは、「続々・ネットVRMユーザーの限界とこれからを問う」で言うところの「農耕民族」たちが、「開かれた村」ではなく「閉じた村」を営んでしまっていると言うことです。
例えばスクリプトにおいても、「才能に恵まれた人」たちがスクリプトを縦横無尽に使いまわす一方でそれ以外のスクリプトを用いたレイアウトがおみくじ程度しか出てこないし、スクリプトウィザードが実装されてしばらく経ってもscrollを公開する動きも一向に活発化していないようです。
このように文中では「才能に恵まれた」ユーザーの意識がI.MAGIC社のビギナーを受け入れようとする努力をはねつけているのではないか、とされています(一言で言えば保守的に過ぎるということでしょう)が、もう1つ、ソフト自体の要求するリテラシが高すぎることも指摘されています。
ならば、スクリプトの文面や「まるでCADやドローソフトでも扱うかのような、難解なメニュー群」を全く目に入れることなく、現行のVRMと同じかそれ以上のことが実現できるようになれば、それこそVRMが結果志向ツールに脱皮してビギナーも「才能に恵まれた人」たちもよかったよかった!ということになるのでしょうか。
VRMの大きな特徴はよく言われるように自由であることです。エキスパートは自由であるが故に、自在にツールを使いまわしてユニークかつ抜きん出たレイアウト群をつくることができます。一方言わずもがな、ビギナーは自由であるが故に、何をすればいいのかもわからずレイアウターを眺めて茫然とします。
エキスパート=「才能に恵まれた人」たちはそのことを知っているがために「VRMはもっとビギナーを受け入れるべき」という提案には不安を感じるのではないでしょうか。
すなわち、ビギナーも容易に扱えると言うことは、VRMから自由が奪われること―ひいてはユニークなレイアウトを一種独占的につくれる今の状態を失うことになるのではないか、と。
結果志向=結果が限定される、と。
となるとghostさんの言われる「ビギナーであってもエキスパート並みのレイアウトが作れる仕組み」というのはこの不安にまさに突き刺さります。なぜなら、この文章を言い換えれば「エキスパートがビギナー並みのレイアウトしか作れない仕組み」となるのは自明だからです。
おそらく「『それはオリジナリティのないものだ』『オレたちの今日までの精進はどうしてくれる』という不毛な反感」とは、そういう一種の邪推を念頭に置いた上で、それを牽制する言葉だと思うのですが、むしろユーザーは必ずしも「VRMはビギナーに優しい簡単なソフトになるべき」という考えにも拘るべきではないと思います(あくまでユーザーは、です)。
折衷案を挙げるならば「ビギナーであってもすぐにそれなりのレイアウトが作れるが、上を見れば限りがない仕組み」となります(なんと都合のいい、と我ながら思いますが)。
例えば、ギターもこれを実現しています。ちょっと練習すればすぐにそこそこ弾けるようになります。しかしその反面凄腕のプレイヤーが数多く存在し、間口の広さと高度な能力の共存がユーザーの裾野を広げているわけです。
VRMが鉄道模型の「つくる楽しみ」を重点的に模していて、それこそがVRMの本質だとすれば、ビギナーへの親和性に拘るあまり、ゴールを見えるところに置くようなことだけはあってほしくありません。「アウト!の人」が五里霧中よろしく彷徨ってしまう現行VRMのインターフェースには問題があると言え、そのことをもって「ビギナーであってもエキスパート並みのレイアウトが作れる仕組みの整備」を挙げるのはやや早計ではないでしょうか。
27日午後、加筆修正しました。
2005年10月27日
この記事へのコメント
ちなみに自分は、ブログをはじめた当初から農耕民族であることを切に自覚しております。
Posted by 45-50s at 2005年10月27日 01:33
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